2011年10月02日

「聖徳太子」非実在論の検証

聖徳太子も架空の人物だったという説があるが、
その仮説の普及は文字通り「岩戸閉め」になる可能性がある為、
予め真相を究明してアカシックを修復しておきたいと思う。

taisi01.jpg

同時に複数の事をすると意識が分散し、集中力散漫の状態を作り出す。
これでは五感の1つずつをフルに活用する事は出来ない。
また、脳波は間違いなくベータ波状態となっている。
日常的に、アルファ波状態で過ごすか、ベータ波状態で過ごすかによって、
心身の健康度も人生の幸福感も大きく違ってくる。

獣が聖母に指導しているのは、
日常的にアルファ波状態で過ごせるようになる為の訓練である。
それがヴィパッサー瞑想で、
普段から自分の心の動きを客観的に分析できるようになる。
ある程度のレベルになってくると、同時に複数の事をしても、
それを全て認識する事が出来るようになる。

魔界の聖徳太子
A3F3A3E4A.jpg

少し前、獣がアイスを食べながらPCをやっていると、聖母が言ってきた。

「私には食べながら他の事するなと言いながら、自分は出来てないぢゃないの!」

それは大間違いで、分かりやすく言えば聖徳太子を例に挙げる事が出来る。
通常、2人以上の話を同時に聞けないが、
聖徳太子は同時に10人の話を聞き分けたという。
それと同じような原理である。
但し、獣は同時に2人以上の話は聞けない(笑)
電話中に横から何か話しかけられると、訳が分からなくなる(笑)

獣は持っていないが、聖徳太子になりたければ、
以下のアイテムがお薦めである。
bb8312-01.jpg

さて、聖徳太子の実在性だが、結論から言うと聖徳太子は実在した。
だが、白峰聖鵬氏によると、
修験道では「聖徳太子は3人いた」という伝承があるという。
仮説の域を出ないが、その一言で謎は氷解した。

秘密結社「ヤタガラス」を組織したのは聖徳太子だと言われている。
つまり、聖徳太子はヤタガラスのトップという事になる。
ヤタガラスのトップは「大烏」と呼ばれ、
三人一組で「裏天皇」として君臨しているという。
それで、全ての辻褄は合った。

img387.jpg

「聖徳太子」と呼ばれる人物は、3人で構成されていたという事である。
その中心人物は、秦氏の首長だと言われている「秦河勝」であろう。
もう1人は、「蘇我馬子」だったと思われる。
蘇我馬子の字義は「我は蘇った馬小屋の子」で、
イエス・キリスト伝説を投影する聖徳太子に当てはまる。
もう1人は誰かは分からないが、忌部氏の人間だったと考えられる。

一説によると、聖徳太子は碧眼の白人だったと言われているが、
修験道の伝承でも、聖徳太子の1人は碧眼だったという。
だが、秦氏や蘇我氏が白人だったとは思えない。
そうすると、忌部氏が碧眼の白人だった事になる。
普通に考えると、それも有り得ないが、そうとも言い切れない。

lrg_22290772.jpg

加治木氏の研究によると、卑弥呼は金髪碧眼だったという。
マクモニーグルの透視によると、卑弥呼は黒髪で、
目の色はスティールグレーだったという。
矛盾しているが、矛盾しているのは当然である。

マクモニーグルが透視した卑弥呼は、
『魏志倭人伝』の卑弥呼とは別人だからである。
別人ではあるが、マクモニーグルが透視した卑弥呼は、
『魏志倭人伝』の卑弥呼の子孫に当たり、
『魏志倭人伝』の卑弥呼はスサノオの日向の妻である。

10.jpg

アリオンによると、アマテラスには義弟たちがいたという。
その義弟たちは出雲族(スサノオの霊的エネルギー)を封印し、
四国に潜伏したという。
獣説では、そのアマテラスの義弟たちこそ「忌部氏」であり、
四国の中でも本拠地である徳島は、封印を「解く島」である。

アマテラスが金髪碧眼だったとしたら、
その一族である義弟たちの子孫(忌部氏)にも、
碧眼の要素を残していた人物がいてもおかしくはない。
獣説では、忌部氏は南ユダ王国のレビ族の末裔である。
よって、本来は金髪碧眼の人種ではないが、
それはアマテラスにも言える事である。

ぴちぴ~2.JPG

だが、アマテラスが金髪碧眼で生まれてきたので、
イザナギとイザナミは大変驚き「アカル姫」と名付けた。
何故、アマテラスは金髪碧眼で生まれてきたのか……。
獣説では、日向族のルーツはユダヤ人であり、
アルビノでない限り、金髪碧眼の子が生まれるはずがない。

金髪碧眼の女王・卑弥呼の謎
http://shinsengumi3.seesaa.net/article/145624562.html

以前、上記の記事を書いたが、もう少し詳しい話をしよう。
026.jpg

北川恵子氏のアリオン預言解釈によると、アマテラスの部族(日向族)は、
紀元前3〜2世紀にパミール高原を出発したアマ族のうち、
インド→インドネシア→パキスタン→ネパール→中国の江南地方を経由し、
博多湾沿岸に上陸したらしい。

加治木氏は、アマテラスの部族について次のように述べている。

「……その結果分かったことは、このカリエン人たちは、
前期バビロンの崩壊とともに四方へ散った国民のうち、東へ逃げた難民集団の子孫で、
南インド経由で沖縄から日本列島と朝鮮半島へ広がったということである。
……彼らが縄文時代から日本列島にいた人々で、
その後に入ってきた倭人とは区別する必要がある。
しかしそれを前期倭人とみるならば、その勢力範囲は、日本から江南、
そしてミャンマーまでの、広大な地域にまたがることになる。
『魏志倭人伝』にある「入れ墨」風俗はカリエン人のものである。
それは私がタイ国その他、至るところで見てきたその人たちの特徴だから、
間違いなくヒミコは彼らの女王だ」


CAMUD6XP.jpg

マクモニーグルは、卑弥呼の部族の渡来ルートを以下のように示している。

・日本の長門=西暦125年
・日本の福岡=西暦65年
・日本の沖縄=紀元前65年
・台湾の台北=紀元前205年
・中国のマカオ=紀元前265年
・ベトナムのハイフォン=紀元前325年
・ベトナムのハノイ=紀元前385年
・中国の昆明=紀元前475年
・中国での部族成立=紀元前805年


中国→台湾→沖縄→福岡という移動ルートは、加治木説と大筋で一致しているが、
加治木説によると、卑弥呼の部族は紀元前3〜2世紀にインドのマウリヤ朝の
アショーカ王に派遣された仏教宣布団だったという。
これは、アリオンのいう「紀元前3〜2世紀にパミール高原から出発した日向族」
とも一致することになる。

kareena.jpg

だが、マクモニーグルが透視した年表と大きく異なり、
マクモニーグル説では中国以前の記録が不明である。
その謎と矛盾は、上記の加治木説を読めば氷解するはずだ。
要は、日向族は日本に渡来する途中でカリエン人を併合したのだ。

もっとも、カリエン人のルーツはシュメール・バビロニアにあり、
日向族(ユダヤ人)のルーツもシュメール・バビロニアにある。
そして、中国には金髪碧眼の部族も存在し、パミール高原の一角で、
中国に隣接するパキスタンにも、金髪碧眼のワーヒー人が住んでいる。



結論、アマテラスの部族に金髪碧眼の子が生まれても不思議ではなく、
聖徳太子の1人が忌部氏であれば碧眼だった可能性もなくはないのだ。
聖徳太子、即ち「大烏」の1人が忌部氏だったというのには理由がある。

聖徳太子(大烏)が秘密結社「ヤタガラス」を組織したという事は、
聖徳太子は「初代・裏天皇」だったという事になる。
だが、秦氏の渡来以前から、アマテラスの義弟たちは日向族の実権を握り、
アマテラスを影から操っていた。
そして、アマテラスの義弟たちは、渡来系勢力の力を借りて出雲族を封印した。

3c06a998.jpg

この渡来系勢力が、スサノオ(艮の金神)を封印した
陰陽道を成立した部族だった事は間違いないだろう。
つまり、忌部氏と秦氏の提携によって、「ヤタガラス」が結成されたのだ。
そう考えると、聖徳太子の中心人物は忌部氏の人間だった可能性も高い。

秦河勝は、その忌部氏の族長を支えた人物で、
蘇我馬子と共に3人で「裏天皇」として君臨したという仮説が成り立つ。
恐らく、今でも裏天皇(大烏)の中心人物は「忌部氏」だと思われる。
アリオンがアマテラスの義弟たちを「真の闇帝王」と呼んでいる事も、
それを裏付ける証拠だと思うのだが……。
posted by 獣 at 22:28| Comment(0) | 歴史・アカシックの修復 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。